連戦。
Ardooieから中一日でBoom、そして次の日にKoksijde。
どうしようもなく、走れなかった。
体調も悪くなり、10月24日火曜日に参戦予定していたNacht van Woerdenをキャンセルした。
テレビ中継映像をまたブログの一番下に埋め込んでます。
よろしくお願いします。
前日のSuperPrestigeを少し抑えて走った、というか、走らざるを負えなかったから、ワールドカップは少し走れるのではないかと期待していた。例年、絶対にいい走りをするんだと意気込んでいるコクサイデ。毎年、ベストな状態で挑めるわけではない。去年はかなり気合い入れていい走りができるのではないかなと思っていたけれど、強風のためレースは中止になった。そして、今年もかなり風が強く、今年もレース中止かな?なんて他チームのメカニック達とおもしろおかしく話し合った。
コースの試走をした感じではそこまで悪くは感じなかった。むしろ、前日のSuperPrestigeより身体が楽に感じた。タイヤのセッティングもパパっと決まり、気分良く試走を終え、レースに備える。
レースがスタートし、去年から採用されたスタート直後の担ぎ区間を経て、落車を回避しながらレースを進める。が、ランセクションでもう何もかもが終わった。もう歩いてるのも精一杯。各選手の背中が遠ざかる。自分で自分が異次元の遅さなのがわかった。その場から逃げ出したかった、けど、これはワールドカップ。とにかく、できる限りの力で走り続けた。レースは30分も走れなかった。こんなこと、この数年で初めて。あり得ない、、と思ったけど、とにかく、レースを終えてほっとした。
レース後、チームトラックに戻るまではもうフラフラでもう心底疲れた、という言葉が正しかった。。自転車の上でハンドルで上半身を支えることもままならなかった。
この日はレース前から内臓が痛くてまともにご飯を食べれなかったけど、レース後のフリッツはなぜかとてもおいしく感じた。
レース後、スタッフはすごい残念な顔をしているし、ムードは悪かった。めっちゃ悪いレースをしたのはわかっている、あり得ないほど遅かった。けど、最後まで走ったし、許してほしいとも思った。手を抜いたわけではない。ぼくも走っていてすごく悔しかった。ピットで待っているスタッフも悔しかったんだろう、その気持ちもわかる。
僕は次に予定していた火曜日のナイトレース、Nacht van Woerden UCI2のレースをキャンセルするようにスタッフに伝えた。今は身体と気持ちがもうついていかない。
ArdooieUCI2や何レースかの走りを見る限り、今年の走りは悪くはない。例年より速く走れている。ただ、Meulebekeの怪我から少しずつ歯車が狂い、例年のように連戦に対しての免疫も怪我の影響でかなり落ちている。その他、ここ一か月の自身のスケジュールを見直しても、かなりの過密スケジュールをこなしてきた。身体がもうついてきていないのは明らか。自分のトレーニングリズムを取り戻し、次の10月29日日曜日のSuperPrestige Ruddervoorde に備える。負けない。
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2017/10/28(土) 03:15:44 |
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Ardooieを好調で終え、中一日でSuperPrestige。
試走した時点でZonhovenと同じ感覚だった。うまく走れなかった。
ヨーロッパにレースしに来てるのに、怪我しに来てるようなもんやなと笑えてくる。
立て直していきたい。
今回は映像を埋め込んでます。
一周目だけちらっといます。
ブログの一番下に貼り付けます。
レポートは東洋フレームブログから転載させてもらいます。
では、ご覧ください。
Ardooie UCI2が終わり、一日挟んでボーム。このコースを走るのは初めて。ArdooieUCI2で感じたことを色々と修正を加えてみたけど、結果的には悪い方向に働いた。それに、ArdooieUCI2で得た身体のダメージがひどく、内臓の調子が悪くなり、胃がずっときりきりと痛い状態が続いていた。それにこのボーム当日はひどい眠気でレースだっていうのに寝たくて仕方なかった。レース1時間前はとにかくコーヒーをがぶ飲みし続け、眠気を飛ばした。
コースは高低差があるものの、芝がとても締まっていて、高速コースだった。得意なコースだなぁと感じたけれど、とにかく、走るもなにするも注意力がなかった。途中の砂区間も得意なはずなのにバイクのバランスを崩して思うように走れなかった。今思えば、Ardooieのあとのポジションの修正が悪かった。そして、左足が試走する時点で悲鳴を上げていた。これはまずい、レースどころではないと思った。この左足は患部ではなく、患部を庇うために筋肉の使い方が乱れて悪循環になっていた。患部も疲労により、足首がぐらつく。今の状態では患部に対し、オーバーワークになっているのが嫌でもわかった。
とにかく、スタートするしかない。SuperPrestigeに全戦契約させてもらっておきながら、結果がGietenはまだよかった、ZonhovenはDNF、そしてこのBoomでもリタイアという選択は避けたかった。
とにかく流れに乗って、いけるとこまで行こう。そう少し守りに入った気持ちでスタートを切る。スタートして、流れに乗ったところで前の選手が詰まって急に減速し、僕はその選手に突っ込みかけ、脚をつき、落車を回避。けど、集団から遅れる形でホームストレートを抜けていく。やっぱり気持ちが入ってスタートしないとこういうトラブルを呼ぶよね、と再認識。集中しないと。レースはやっぱり気持ちがないと本当に蹴落とされる。気を少し引き締め、最後尾なので焦らず確実に走り、前を追う。
半周もするうちにもう左足の出力がしなくなった。ピット横でスタッフにとりあえず走ると伝え、UCI80%ルールで切られるまで走った。この日はアマチュア選手がちらほらいたので、彼らと少し混じらせてもらい一緒に走った。マイナス4周でレースを降りた。25位。
ArdooieUCI2で、高速レースだったので路面からの突き上げによって内臓が疲れていたのは理解していたし、疲労が抜けきれなかったのもわかっていた。レース前の集中力の無さも、スタートのミスも、大きな事故を起こさなかっただけまだよかった。このレースはとにかく形のリザルトを残すために最後まで走った。
走っていて、たくさんの人に応援をしてもらえるけど、それに応えれない。応えるためのベルギーでのレースに対する物事の組み立て方をまたもう一度考えないといけない。
この日の翌日はワールドカップ コクサイデ大会のため、多くの選手がDNSだった。でも世界のトップはこのスケジュールでも余裕でこなしていく。ただただ、改めて力の差を見せつけられる。わかっているんだけど。。
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2017/10/28(土) 03:09:07 |
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ブログ久しく更新していないなと思っていたら、、
時間が過ぎるのあっという間です。
レースレポートは東洋フレームブログ優先で更新させてもらっているので、
タイムリーにチェックしていただけるならこちらからよろしくお願いします。
東洋フレームブログ このArdooie大会は終始パックでレースができたし、
今回の遠征で思い描くレースができた今のところ唯一のレースです。
では、また転載ですが、どうぞ。
このレースはテレビ中継がなかったので、いつもの映像の埋め込みはありません。
スーパープレスティージュ第2戦から中3日でArdooie、UCI2クラス。このレースは毎年雨で泥のレースになるけれど、今年は天気が良く気温も20度ぐらいまで上がり、夏のようだった。そのおかげでコースはドライのハード路面、超ハイスピードレースになることがレース前から予想された。また、得意なハイスピードレースで且つ、降車区間が一か所のみで患部に負担の少ないコースで今まさに自分にとってリハビリにぴったりなコースに思えた。上の写真は去年のもの。どっろどろ。
試走した段階でリムハイトの高いホイールを選んだ。少し風があったけど、巡航スピードを得たかった。
レース前はサポータークラブの主要メンバーのみんなが来てくれた。既にビールで出来上がっている雰囲気だったけれど、僕をアテにレースを楽しんでくれるなら何より。みんなと記念写真。
スーパープレスティージュ第2戦後、左足患部の感覚がかなりよくなってきていた。それに10月から乗り出したばかりのバイクの乗り方もわかってきて、このレースではとりあえずいい走りができるという確信がレース前からあった。
スタートは少し荒れたけど、何事もなくこなす。U23と一緒のレースは人数が増えるし、殺気立ってコンタクトが多くなる。選手のメンツを見て、とりあえず、落ち着いてレースを進める。1周、2周と重ねる中で5人ほどのパックから2人で遅れる。一緒に遅れた選手が強いのがわかっていたので、その5人と少し差を開けたのかなと思ったけど、本当に遅れてしまった。あらら、と思い、どうしようもないので、その選手の後ろにずっと待機。彼のペースについていくのがやっと。漕ぎ方がまとまらなくて、無駄な体の使い方をしているのは理解していたけど、レース中で必死でどうにも制御できず。とりあえず、前の4人パックのペースが落ち、合流できることを願った。
レース中盤で4人パックのペースが落ち、一緒に遅れた選手と一緒に追いついた。6人パックに。そこでぼくはパックの前に移動して展開できれば体力をセーブできるのは理解していたけれど、パックの前に上がる体力すらなく、ただ6人の一番後ろを走り続けた。ただ耐えた。後半40分ほどたったところで少し体が慣れてきて、動きやペダリングがきれいにできた。けれど、それまでにロスした体力が多く、もうパックについていくので必死だった。
ラスト一周、パック内にいたロブペーター選手がやる気ないモードだったのでパス。けど、そのほかの4人との20位争いのスプリントになったけど、最終コーナーを曲がった時点で出遅れ、スプリントできず、フラフラでゴール。トップの世界チャンピオンのWout選手から3分遅れの25位。とりあえず、よくやった。自分で自分を褒めた。
平均時速が30km近いレースだった。僕は、誰かの後ろに常について走ることしかできなかった。10月1日のGieten以来、ようやくきちんとレースができた。コースもMeulebekeの怪我に対する負担が少なく、天気が良く、コースもハイスピードコースになったことで完走率も上がったことも一因。まぁそれでも去年までの走りより遥かによくなった。怪我の影響で満足にトレーニングもこなせなてなかったので、レース中はとにかく苦しくて我慢し続けたけど、少しレース数が減り、トレーニングできれば、もっと余裕をもってレースに参加し、レース展開に加わることができると思う。
サポータークラブや、スタッフのみんなも今日の走りをとにかく褒めてくれたし、驚いてくれた。けれど、僕の中ではスタンダードのちょい下くらいの走りだった。今年はもう少し走れるはず。まだ怪我も完全な状態ではないし、無理をし過ぎずにレースを進めていきたい。まだまだこれから。
まず、この週末は土曜日にスーパープレスティージュ第3戦ボーム、日曜日はワールドカップベルギー大会コクサイデ。この週末は天気が悪く、ハードなレースになりそうです。そして、週明けの火曜日はオランダでUCI2クラスのナイトレースに参加します。今回のレースで久々に追い込んだので今は疲労困憊だけど、、明日からの二連戦、そしてナイトレースと、、形にできるように頑張ります。
2017/10/28(土) 02:46:37 |
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土日と連戦の日曜日はスーパープレステージ第2戦Zonhoven。
砂の特別なコース。コクサイデとはまた違う。
Zonhovenは休むところが本当にない、登ってるか下ってるか、それも砂で。
ほんとに特別なコースで憧れのコース。
このコースでちゃんと走れたら誇れると思っているコースの一つなので、僕自身も特別な思い入れがあるレース。
レポート内にも書いてあるけれど、
ほんとに試走やウォームアップの段階で左足の異常を感じた。
その他の要因もあって、試走は集中して行えなかったし、セッティングもとりあえずの雰囲気で合わせた。
レースは1周目だけ何となく走れ、そのあとはもう流すくらいのスピードでしか走れなくなり、DNFを選択。
こんな日もある、という落としどころしかない。
またブログ下部にテレビ中継映像を埋め込んでます。
レポートは今書いたことをまた書いてあるような感じですが、どうぞ。。。
東洋フレームブログはこちらから。
https://toyoframe.com/archives/44721?v=d3dcf429c679 スーパープレスティージュ第2戦、ゾンフォーデン。砂が深い下りはジェットコースターのように下り、登りは深い砂を一歩一歩踏みしめ、バイクを担いで登る。特別なコースでハードだからこそ、このコースで結果を出したいと毎年特別に気合いを入れて挑んでいるレースの一つ。
この日も天気がよく、気温は23度程まで上がった。レース前はみんなでリラックス。
毎年、この週末は2連戦でかなりきついけれど、それも慣れなくてはこっちでやっていけない。しかし、今回は負傷した箇所が前日のKruibekeでかなり負担になっていたようで、試走のときにバイクを砂の上で轍にトレースさせていく動き、砂の深い下りでのバイクの前後のバランスの保ち方すら満足にできず、ラン区間は特に厳しく、コースの厳しさからくる脚への負荷が試走の時点で耐えれてなかった。
レースは前日に引き続き、例年より参加者が多く、にぎやかだった。スタートして、いつも通りのメンツといつも通りのポジションで落ち着いて走る。
しかし、1周目後半から左足がかなりきつくなり、思うように動かなくなってきて、ランセクションでは脚を引きづるようにしか走れなくなった。3周ほどその状態で走り続けたけど、コースの厳しさに左足が全く対応できないまま変化がなかったので、今後の連戦を考え、ピットでメカニックに相談。もうレースやめたら?とメカニックも同意見だったので、そのままレースを降りた。結果はリタイア、DNF。
本来なら土曜日のKruibekeをリタイアし、日曜日のスーパープレスティージュを優先させるべきだったけど、それは結果論。しょうがない。言い訳ではないけれど、この日のレースの完走者は16人。どちらにしろ、かなり厳しいレースだったようで、リタイアのプロ選手も多かったので少し安心した。
今はレース後2日が経ち、かなり脚の状態が回復してきた。日曜日のスーパープレスティージュではテーピングのテンションも少しきつくしすぎて、脚への負荷がかかり過ぎたようにも思ったので、そのあたりの点もレースがないこの数日に微調整し、要領を得てきた。
次のレースは木曜日にKermisscross Ardooie UCI2があり、そのあと、土曜日にスーパープレスティージュ第3戦UCI1、日曜日にコクサイデでワールドカップ、火曜日にオランダでナイトレースのNacht Van Woerden UCI2 。この1週間で4レース。最大の山場。とりあえず、今週の木曜日のレースでどこまで走れるか、それによって残りの3戦が大きく左右される。レースにのみ集中していく。負けない。今年は結果出すと決めている。
テレビ中継映像はこちらからどうぞ。
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2017/10/18(水) 23:09:57 |
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Meulebekeでのレース後、安静期間を十分にとり、トレーニングは十分に行えなかったけどその分休養はしっかりできた。Meulebekeの1週間後のレース、Kruibeke。
もやもやが続いた1週間だったけれど、自転車に乗れない分、自転車に乗れ出したらできないようなことを色々と済ませた。自転車屋さんに行ったり、スポーツ用品店に行って今後のトレーニングに必要になるものを買ったり、下半身が満足に動かせないから上半身のトレーニングを増やしたり、、実際はそんなに安静にしていなかったかもしれない。動かないといられない性格です。
さて、今回も東洋フレームブログから転載しますね。
またブログの最後にレース映像を埋め込みます。序盤のキャンバーセクションではちらちらといます。
スタート位置が後方なので見事に渋滞してます、のんびりと無理に焦らずこなすようにしてますよ。
では、どうぞ。
転載元の東洋フレームブログはこちらからどうぞ。
https://toyoframe.com/archives/44699?v=d3dcf429c679 Meulebekeのレースから一週間後の10月14、15日と連戦になり、その第1日目はPoldercross UCI2クラス。このレースを皮切りに今後11日間で6レースこなすスケジュール。Meulebekeで負った怪我はなんとか自転車に乗れるまでは回復。けれど、高負荷に患部が耐えれるかはレースを走ってみるまでわからなかった。Meulebeke後の3日間は安静にし、レース三日前にローラーで練習、二日前に実走三時間、前日は疲労でのれず、10月14日にレース。本来ならMeulebeke後に練習をしっかりと行い、10月末までの連戦に弾みをつけたかったのに、練習もなにもできず、フラストレーションばかりが溜まったけれど、それでも怪我を治すことに集中した。
レース当日、コース試走で脚の感覚を確かめる。痛みが出ないので、とりあえずはオーケー。だけど、上り坂では患部の影響で足首をうまく支えられず、どうしても出力が下がる。ある程度はしょうがない、ただ自転車の上に戻ってこれたことはうれしかった。
天候がとてもよく、20度を超えていて、半そででも汗ばむ陽気だった。コースは一部ぬかるみがあるけれど、ドライコンディション。この日はチャレンジタイヤのCHICANE Setaを選択。キャンバーセクションが多くなり、スタート直後に直登するレイアウトは少し変更されたが、スタートで大きな混乱が起こるのは間違いなかった。
いろいろと不安はあったけれど、とにかくレース。スタートし、1周目の流れもそこまで悪くはなく感じた。けれど、どうしても加速や上り坂の短時間の高出力には足首が耐えれない。スウェーデン選手が多く参加しており、序盤は彼らやその他選手と大きなパックを形成する。
けれど、中盤からこのパックの先頭に出てそのまま抜け出し、単独でレースを進めた。しかし、残り3周でUCI80%ルールによりレースを下ろされた。46人中24位でゴール。
中盤から終盤にかけてのペースは悪くなかった。けれど、どうしても怪我の影響が出てしまう。どうしようもない。結果を見るとあと少しでフルラップだったし、例年通りの結果といえば例年通り。悪くない結果。だけど、今年はこんな結果を出しに来た訳ではない。ただただ、先週の出来事に対する悔しさが込み上げる。今の状態でこれなら、本来ならどれだけの走りが出来ているのか。そこばかり考えてしまう。
この日は翌日のSuperPrestigeZohovenに向け、Zonhoven近くに宿泊。翌日のレースに備える。
レースの中継映像はこちらからどうぞ。
VIDEO
2017/10/18(水) 05:59:14 |
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こんばんは。
10月7日に出走した Berencross Meulebeke UCI2 のレースレポートになります。
今回の遠征中は東洋フレームブログを優先的にアップしていっているので、
少しラグが生まれてしまって申し訳ないです。
なんだかんだ毎日バタバタとさせてもらってます。
Gietenのレース後の月曜日からMeulebekeの前日金曜日まで少し勉強をしにイギリスに行ってました。
久々にする勉強はなかなか大変でした。その件はまたご紹介しますね。
ベルギーとイギリスは比較的近く、、お隣のフランスから車に乗ったまま電車で渡りました。
電車に車ごと入るユーロトンネルです。なかなか刺激的な体験でした。
ユーロトンネルを使えば、車でもロンドンまで半日あれば余裕でつくのでまた観光でもしたいなと夢が膨らみました。
さて、そんなこんなでイギリスからMeulebekeの前日夜遅くに帰り、
頭を切り替え、いざ、レースモードに。
家からほど近いとこでのレースだったので助かりました。
レースレポートは、東洋フレームブログから転載させてもらいます、
ブログ下部にまたレースの映像を埋め込んでいます。
映像内に一周目のサンドセクションで前のめりになりながら僕が必死に走ってるとこが写ってます、
それが負傷した直後です。かなり必死そうです、、、自分で確認してびっくりでした。
ではレポートをどうぞ。
転載元の東洋フレームブログへはこちらからどうぞ。
https://toyoframe.com/archives/44674?v=d3dcf429c679 ベルギー入りして、第2戦目。
UCI2クラス、滞在している西フランドル地方のMeulebekeという街の公園で行われる大会。UCI2クラスといっても、もちろんテレビ中継が入る規模。ベルギーオランダのトップ選手はもちろん参加し、初戦のスーパープレステージと選手のレベルは変わらない。ただ、UCI1クラスとUCI2クラスではコース設定レベルに差がでる。UCI2クラスは簡単で走りやすいし、選手の完走率も高く、僕レベルのアマチュア選手の出走率も高いので、スーパープレステージ等のハイレベルレースよりパック(小集団)でレースを展開しやすく、幾分気楽にレースができる。
例年参加させていただいている大会で、今年で4度目の出場。今年もレース前は多くの人が僕に声をかけてくれた。竹之内悠ファンクラブのみんなもレースに応援に来てくれていた。コースはコンパクトで細かいカーブが多く、日本のようなコースなので、得意なコースといえる。去年はぎりぎりフルラップで走り切り、29位のトップと4分半ほどの差でゴールしている。今年はその成績より確実に上にいける自信があった。
試走時はドライコンディションだったのでスリックタイヤを選択、しかし、レース1時間前から雨が降り出した。雨脚が弱かったので、そのままスリックタイヤでスタートしようと思った。けれど、メカニックのランジットが結構雨が強いから、タイフーン(セミドライタイヤ)に交換を勧めてきた。スリックタイヤでスタートしようと思ってたけど、保険をかけて、ランジットの提案通りにタイヤをタイフーンにチェンジ。自分の逸る気持ちにブレーキをかけたかった。
スタートは重要だと思っていた。コースは抜きどころが少なく、踏んでいける箇所も限られているので、序盤でできるだけ前のパックで展開したかった。
スタートはかなりよく決まり、トラブルもなく進める。スタートしてすぐの芝のセクションに入った途端、1コーナーに一人はスリップダウンで落車していた。雨脚が強くなり、芝が相当滑るようになっていた。落車を回避しつつ、グリップを探りつつバイクをコントロール。タイヤ選択はレース前のランジットの提案を受け入れて正解だった。順位もかなりよく、20位前半でレースを進める。半周ほどしたところのサンドセクションに入る。前方の選手達は乗車したままでは通過できないのでバイクを降りていた。前方の選手を見て、僕も早めにバイクを降りた。
バイクを降り、ランし始めた際に後ろから何かが僕の左ふくらはぎ上部に当たった。その瞬間、左脚のひざ下の感覚がなくなる。あまりの痛さと無感覚な左足に崩れ落ちて転倒しそうになるも、なんとか足を前に進め、サンドセクションを通過。バイクに乗ったら今度は足首に力が入らず、立ちこぎしてもかかとが垂れ下がる。身体が壊れたと思った。でも、走り続ければどうにかなるか、と諦めずに1周ほどはペースを極端に落とし、脚の様子をみた。少し感覚が戻ってきたので、ペースアップ。レース中盤で雨脚が強くなったのでマッドタイヤを履かせたバイクにピットで交換。しかし、スタッフとの意思疎通がうまくいかず、タイヤ選択が僕の希望とは違い、コースにうまく対応できず。どうしようもなく、そのままレースを進め、マイナス3周でレースを下ろされた。34位/42人。
レース後は痛めた箇所が痛くてまともに歩けず、クールダウンのローラーすらできなかった。いつも日本で僕の身体をケアしてくださってるSato先生に電話し、状況を伝え、原因と解決策を教えていただいた。先生の判断は腓骨神経を強打したことにより、腓骨神経が麻痺したこと、それに伴う炎症で痛みがでているとのこと。
3日間安静にし、リハビリストレッチを毎日続け、今はなんとか普通に自転車に乗れるまでに回復。違和感はまだあるので、無理しすぎずにレースを進めていきたい。
強打した際にあまりに痛く、痛いのに無感覚な脚に異常を感じ、すぐレースをやめようと思ったけど、僕を招待してくれている主催者さんや、僕のことを応援してくれているたくさんの人がいて、その人たちを思うとレースをやめるという選択はできなかった。相当の痛みだったので、今シーズンはこの怪我で終わったかもしれないとも思ったし、最後まで走ろうと決めた。プロの選択ではないかもしれないけど、ぼくは応援してくれている人たちに生かされているので、そう簡単にはレースを降りれない。
すごく気合いの入っていたレースだったし、結果を狙っていけるレースだったと思う。このような結末になったことがとても腹立たしく、レース後は気持ちの整理がうまくできなかった。レースの世界、結果がすべて。結果出して、実力で見返していくしかない。負けられない。
レース中継映像はこちらからどうぞ。
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2017/10/17(火) 02:30:37 |
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9月末より、ベルギー入りしてます。
10月1日に行われたスーパープレステージ開幕戦、Gietenのレポートを東洋フレームブログから転載します。
開幕戦は自身の新型バイクの初戦、そして、いつも僕と一緒に戦ってくれているメカニックのランジット、その息子さんのジャスティンも今年から東洋フレームに乗ることになり、彼のバイクの初戦でもあったので、いろいろと気になって大変だった。
サポート体制は整ってあるけど、もちろんやれることは全部自分でやる。自己責任。
僕ができないところはスタッフに助けてもらう。そういうスタンス。
なので、新車のすり合わせなどは時間の関係で日本でできなかったので、ベルギー入りしてから全てした。
そして、木曜日にジャスティンに新車を渡し、日曜日がレース。
彼は今年からジュニアクラスのスーパープレステージに参加する。
コースはエリートと全く同じ。
なので、バイクにかかる負担は僕とほぼ同じ。
彼のレース前は彼のバイクに改めて不具合がないか、全てチェックしなおし、ドキドキした。
彼が無事にレースを終えたときはとてもうれしかった。彼のおかげでいろいろと勉強になる。
Gietenではそんなこともしつつ、、自身のバイクも準備し、レースも頑張った。
久々のヨーロッパでのクロスは毎年だけど、少し、、いろいろと準備が甘い。
あれ、こうだっけそうだっけ、あれあれ?と。。。笑)ま、レースは頑張れたしよかった。
レースはまだまだスピードに伸びがなかった。
それは時差のせいなのか、バイクのせいなのか、自分の根本的なものなのか。。
ちょっと不完全燃焼、、でした。
ブログ一番下部にレースのテレビ中継されたもののYouTube映像を埋め込んでいます。
レースのテレビ中継映像をぜひご覧ください。序盤は僕がちらちらいると思います。
さて、以下より、転載。
転載元の東洋フレームブログは下のURLをクリック。
https://toyoframe.com/archives/44477?v=d3dcf429c679 10月1日、僕自身の本格的なシクロクロスシーズンがヨーロッパで開幕。
スーパープレステージ開幕戦、Gieten。
今年も去年に引き続き、スーパープレステージと全戦契約。全戦契約するということは、スーパープレステージ全戦に参戦しなければいけないけれど、それは日本人である僕が全日本選手権を含めスケジュールの調整ができない点があるので、今年はその点を考慮した契約をさせていただいた。期待されているのか、キャラクターとして面白いのか、とにかく前代未聞の契約内容だと思う。今年のゼッケンナンバーは22。全契約選手は名誉なことにゼッケンに国籍と名前が入る。去年初めてこのゼッケンを受け取った時はとても感慨深く感じたが今年も頂いた時は更に特別な気持ちになった。
Gietenに参加するのは去年に引き続き二回目。タイトスケジュールだったけれど、スーパープレステージ開幕戦のGietenに参加することは絶対条件であるように思えて、無理にでも参加した。拠点のベルギーから5時間かけ移動、前日にオランダGieten入りした。
コースは長いアスファルトも含む直線がスタート後に二か所、そのあとは湖畔のサンドセクションを挟みながらのアップダウンの繰り返し。前日の試走では、気温が15度ほどの中、風雨が激しく、思い描くような試走をできなかった。渡欧直後ということもあり、自身の感覚がどこまで正しいか信用できないし、コースの違いや天候、気温、全てが違うので、バイクのセットアップにしても深くは考えないようにする。
チャイナクロスのときのバイクを進ませる感覚があまりに鮮烈に身体に刻まれ、新しいバイクとのちぐはぐさを新しいものとして自分にどう落とし込むかに苦労した。コースやレベルは世界一レベル。なので、その環境にも飲み込まれていくのに必死に耐えた。あくまで、今まで信じてやってきたことをこの舞台でも正確にこなしていくだけ。堂々と。
朝からバイクのセットアップを繰り返し、コースの試走は4周した。前日とは大きく天候も変わり、晴れて、気温も上がった。コースは前日の雨の影響でマッドセクションと砂の組み合わせとなったけれど、バイクに付着する汚れは少なく、レース中のバイク交換は必須ではないように感じた。サンドセクションも前日の雨のおかげで濡れて湿っていたので砂が締まって走りやすかった。試走ではバイクは渡欧直後なので持参した2台共に使用した、これはレース中のトラブルを事前に防ぐため。
スーパープレステージでは33人という少ない参加者のうち90%はプロチーム。目標としてはその日のメンバーによるけど、だいたい25位以内。そこから大きく世界が変わるポイント。ヨーロッパ基準でのプロとアマチュアの境目。
レース。スタート位置は最後尾。ベルギーを中心に世界で選ばれた選手のみなので、当然の位置。スタートは落ち着いてこなし、大きなトラブルもなく、一周を終える。パックが徐々に形成されていき、僕は目の前の25位前後のパックから遅れ、オランダ人のパトリックと二人のパック。彼と二人でレースを進めた、が、僕は彼の前でペースを作れたのは一周のみで、それ以外は彼の後ろ10mほどをついたり離れたりしながら走るのが精一杯だった。
レースが進むにつれ、ペースが落ち込み、トップ選手が後ろから追い付いてくるのがわかる。フルラップでの完走が厳しいことがわかり始めるが、それでもペースは最大限に保つ。だが、ラスト2周のところでUCI80%ルールにより、レースをおろされた。レースできたのは50分ほどだった。28位。
photo by Kurt van hout
去年は40分ほどしかできなかったこのレースで、少しは満足のいく走りだった。バイクの進ませ方や伸びが悪かった。その辺をどうにかしないともう一つ前のパックで走れない。思い当たる節はあるので改善していきたい。40秒ほど前を25位前後のパックがずっと等間隔で走っていた。序盤でもう少しスピードに乗せれば、そのパックに合流でき、そこからはプロの世界。そして、レースができているといえるフルラップの世界。そのラインはコースによって変わってくるが、このショートコースのGietenでフルラップでゴールしたかった。惜しかった、今年はそう言える。去年よりも確実にステップアップはしているし、もう少しで手が届く。
これから先、ヨーロッパでのレースが続くが、自分で自分が楽しみだ。
以下がレース映像になります↓
VIDEO
2017/10/11(水) 03:42:33 |
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チャイナクロスDay2のブログになります。
東洋フレームブログでダーッと全部書いてしまったのでそれを転載します。
長文ですいません、いつもグダグダと頭で考えていることが溢れてます。
Fengtai stage の終了後、三日後に次のYanqing stage のレースが開催された。Fengtai stageの翌日、バスで次のレースの開催地、Yanquingへ移動し、さっそくコースの試走を開始した。レース本番までは二日間の猶予があった。
ホテルからコースへの移動中。Thijs選手たちと。
次のレースのコースの試走を開始したが、求められるのは確実なリカバリー。コースの試走も福本選手に合わせ、身体の血が気持ちよく体全体に回る程度を意識して走る。前日に使用したバイクは鬼頭メカニックにホテルで洗車をしてもらっていたため、2号車で試走をした。同じサイズのフレーム、ハンドル、ステム、サドル、バーテープ、そして取り付ける位置にしても全く同じにしている二台のバイクだけど、やはりどこか違う。その違和感が覚えるポイントを頭に入れる。福本選手は新しいバイクのフレームやセッティングを再度一緒に協力して煮詰める。昨日のレースの疲れからか、サドルを上げたいという彼女。この日は鬼頭メカニックもホテル待機のため、サドルを上げてあげる。けど、たぶん悪い方向に向かっていたので、改めて新しいバイクの特徴と今のセッティングの中で必要な意識しなければいけない点を僕がわかる範囲で伝え、前日のレースの修正をお互いに模索した。彼女も選手であるため、要点だけを伝えるとその意味が分かってくれる。僕のことを知っている方なら御存知だと思うけど、とにかくアバウトにバイクの乗り方を伝えた。すると、彼女の走りがイキイキとしだし、バイクの進み具合がよくなった。僕も程よく走れ、二人とも上機嫌で試走一日目を終える。ホテル帰宅後は、試走で使用した2号車のバイクポジションを前回のレースで使用した1号車に近づけるため、気が済むまでバイクを触り続けた。
バイクの整備をしてくれている鬼頭メカニック。
試走二日目。この日は午前中はレース主催者主催の万里の長城観光ツアーに出かけた。観光らしい観光で歩くのも大変だったけど、中国の歴史を肌で感じるいい機会だった。
その日の午後からはまた試走を開始。この日は鬼頭メカニックも同行。翌日のレースの天気予報も晴れで、この日も晴れ。コースコンディションが大きく変わることはない。前日の試走の段階でコースは幅が狭く、路面が硬い。基本平地でハイスピード。スタート直後に階段セクションが2か所。急勾配の登り、その後に合わせて100mほど登り基調なパートが1か所あり、そこが一番パワーを要するポイント。その他は林間を縫って走る。ベルギーで行われるアマチュアクラスのシクロクロスレースのようなコースで、よく考えられているいいコースだと思った。タイヤとホイールの組み合わせも考え、どのパターンが一番スピードが乗り、効率よく走れるかを模索した。ホイールは前回のレースより10mmリムハイトの高いFFWD社のF4Rをチョイスし、タイヤのセッティングも決め、スピードの効率化を考えた。ベストチョイスに至るまでも空気圧を調整したりと、4パターンほど鬼頭メカニックと話し合い、比べ、この日の試走を終えた。福本選手もニューバイクの乗り方の要領を掴んだのか、とても楽しそうに走っていた。タイヤのチョイスで迷っているようだったけど、「スピードが出る方はどっち?」「こっち」「なら、それやね」、、でこの日の試走を終えた。選手なので安全マージンを考慮したチョイスをしたくなるけど、今の彼女の走りにはそのチョイスが必要ないように思えた。
レース当日。この日も天気が良く、最高気温は28度ほど。しかし、日影が多いコースなので、前回同様、僕はボトルを持たずにスタートしようと決めた。福本選手も含めた女子選手と共に前回同様に会場入り。福本選手のレース前の試走に1周だけ付き合い、彼女の不安な点の要点をまとめ、払拭できるように努力した。走るリズムが良かったので、この日の彼女の走りが期待された。その後、2周は自分のペースで試走をした。前日に決めたセットアップで間違いないように思えた。
僕のレースまでは福本選手のレースの応援をした。彼女は前回のレースとは違う走りができており、バイクも上手に進ませることができていた。終盤にかけて、パックで展開し、身長の大きな選手相手に果敢に勝負する彼女の走りはなかなかかっこよかった。
さて、ついに僕自身のレース。この日は実は、、久々にとても緊張していた。レース前から勝負に絡むことができるかもしれないという予感があった。と、いうのも前回のレースで3位になっていたアメリカの選手は今年2月に行われたシクロクロス東京の際に来日し、共にレースを走り、シクロクロス東京では僕のほうが先着していた。シクロクロス東京のコースは少し特殊で彼の実力がその日の結果であったかどうかは定かではないけれど、人間のパフォーマンスとしては僕でも勝負できるかもしれないと思っていた。それに前回はスタート時の落車によって足止めされた出遅れとその出遅れからレース後方になってしまったが故に序盤の数周で出来たギャップが大きく、レース終盤になるまで上位に詰めきることが出来なかったけど、レース終盤のペースはトップ3‐5位の選手と遜色ないだろうと思っていた。だから、スタート位置が悪い僕にはスタートがとても重要だった。スタート直後の階段セクションでどの位置にまで上がれているか、そこで大きく僕のレースの行方が左右される。そして、このコースは絶対にヨーロッパ選手が得意なコースに思えた。ベルギーやオランダにはこのコースのような平地の林間コースが多くあり、普段彼らが練習しているであろうコースと似ているはずだった。なので、前回のレースとまた違ったヨーロッパテイストの実力差が生まれやすいと予測できた。そうとわかれば気合いも入った。
僕のスタート位置は前回と変わらず、前から3列目。位置取りは第一コーナーに対して一番イン側のコースと観客を仕切るフェンスギリギリ。スタートの100mないぐらいの直線でどこまで攻めれるか、とっても緊張した。
スタートのピストルの音と共に踏み出した一歩で2列目にいた前方の選手とフェンスの間にハンドルと身体を無理やり滑り込ませ、パス。その選手はパスした瞬間になにか文句言っていたけど、それどころではない。前に前に、かなり踏んでいった。上の写真はスタート後すぐの第1コーナー。スウェーデン選手の後ろに僕がうっすらと写っている。このあとの階段セクションの時点で10番目くらいかな。トップが見える。ナイススタート。心の中で逸る気持ちを抑える。冷静にレースを進めないと一つのミスが命取りになることは十分承知していた。
前回のレースのトップ二人とThijs選手が先頭3人にいて、その後ろにデンマーク人、アメリカ人、スウェーデン人、そして、僕な感じの隊列。なので、前から前回1位のベルギー、同じく2位のスイス、6位のオランダThijs選手、デンマーク、前回3位のアメリカ、スウェーデン、日本、以下続く、な流れ。序盤からトップ3人はペースを緩めない。
他の選手に比べ、スタートからフル加速でこの位置に上がるまでかなり体力を消費していたし、この先頭パックのペースで7番目というのはペースの上下が激しい。車の自然渋滞と同じ原理で、ストップ&ゴーが多く、体力の消耗が懸念された。
周回が進む中で僕は先頭パック内の位置取りをもっと前にしようとするにも、トップ4が位置を固めていたので、コーナーや直線などで割込みづらく、体力の消耗もあって、その位置にまでいって勝負できる状態ではなかった。3周目あたりで前回3位のアメリカ人が先頭4人から遅れ出す。要所ではトップの4人に追いついていたけれど、後ろから見ている限り、リズムが悪く、彼の体力の限界に思えた。スタートゴールのメインストレートで一気にアメリカ人の前に出て、5秒ほど開いたトップ4を単独で追い、トップ4人をキャッチ。同時に前回競り合ったイタリア人も追いついてきた。彼のことはヨーロッパで何度も一緒にレースをしているのでよく知っていた。
その後、デンマーク人のリズムも悪くなってきたので、パスし、4番手でレースを進める。トップ3は相変わらずのトップ3で位置取りを固め、それぞれトップ3人で一周ごとに先頭交代しながらハイペースを持続していた。そんな彼らに必死についていき、息が上がり続ける。木と木の間を30km超で駆け抜けていく彼らのペースに目がついていかない。いつものペースでコーナーを捉えると曲がるリズムが合わず、木にぶつかるか、コースアウトしてしまう。スピードが速い分、とにかく、目を、視線を無理にでもコースの先に先にと合わせていく。
レースが進んでいく中で中盤に差し掛かり、先頭パックは僕も含めた5人、ベルギー、スイス、オランダ、日本、イタリアに絞られていた。
まずはベルギーがアタックした。僕は彼のアタックに反応できる彼の真後ろの位置にいたけど、そのアタックを見送ってしまった。頭にアタックについていくなんて考える余裕がなかった。彼はそのまま単独でゴールまで行く。そうして、まずはベルギーが飛び出し、差を広げていった。その次はスイスが飛び出し単独2位でレースを進めた。
その5秒後ろをイタリア、オランダのThijs選手、そして僕の3人で前を追う展開になった。身体は常にレッドゾーンMAX状態で勝負なんかを考えるより、そのトップ3のハイペースに身体を合わせることで精一杯だった。残り2周、Thijs選手が先頭交代を求めたのでパックの先頭に立つ。その時に初めてレースの展開を考えた。それまではついていくので精一杯だったけど、僕のいた3位争いのパックで先頭に立つということは、この3人の勝負争いに参加する権利を得るということ。今、自分は3位争いをしている。その事実に血が騒いだ。パックの先頭に出て、5秒前のスイスを追う。その周はこのレースで初めて自分でペースを刻んで一周を走った。スイスとの差は開かなかったけど、ぼくはかなり体力を消耗した。
応援してくれる福本選手と必死な僕。
ラスト1周に入るところで先頭交代し、イタリアが先頭で、その次にThijs選手、僕、の順番。ラスト1周。こんなレース展開はまさか想像していなかったので、自分がどうなっているのかよくわかっていなかった。3位表彰台。そんなことが頭に浮かび出す。上りのパワーセクションでThijs選手が3位争いの先頭に出てアタックをかける、追うイタリア、そして、僕。イタリアからThijs選手までの差は10mないほど。詰まらない。僕も必死にペースを上げる。残り500m手前のゴール手前の唯一の追い抜きポイントで僕はイタリアをパスし、4位に上がる。このイタリア人とは過去にワールドカップで喧嘩したことのある因縁の選手。今日の彼は異様に強かったし、5位でもいいか、という言葉が頭を駆け巡ったけど、やっぱり彼には絶対に負けたくなかった。彼を気持ちでパスし、そこからタイヤのグリップいっぱい使い、ペースを上げ続け、3位のThijs選手を追う。Thijs選手も疲れているようでその差がみるみる詰まる。スイスとの差も一気に詰まっていた。
ラスト2コーナー前ではすぐ目の前。2,3位がすぐそこにいる。。。最後の最後で詰まり切らない距離、タイヤの限界も超えていたけど、踏み続ける。やっぱダメか、、、ラストコーナーを立ち上がった時のスピードの乗せ方が3位のThijs選手と、まるで違った。あぁ遠い。。と思いつつ、4位でゴール。
ゴール後は、バイクトラブルも一切ないままレースを終わらせてくれた鬼頭メカニック、そして応援してくれていた福本選手にお礼を言った。確かにこのレースで一つの大きな軌跡を残せたことは実感できた。達成感がある、4位という結果は嬉しい、もちろん嬉しいんだけど、そんなことより自分がどのレベルの選手を相手にどういうレースをしたのか、レース内容が結果よりなにより一番嬉しかった。
数字の結果的にはトップのベルギーまでは10秒、2位のスイスまでは4秒、3位のオランダまで2秒。かなり善戦したと思った。この日は僕自身の得意な硬い路面のコースで、スピードコース。そして、アジアで行われたレースであるという点。彼らは欧州と開催された中国との時差や食文化の違いによって、欧州で発揮しているような彼らのパフォーマンスが100%出ているとは思わない。もちろん、今回のコースも、コース幅が狭いし彼らの普段走るレースのスピード域よりかは遅く、実力差が出にくかったのかもしれない。ただ事実として、今回の結果をわかりやすく言うと、2位のスイスは2017年のシクロクロス世界選手権ルクセンブルク大会で24位。ここ数年、まずは目指してきた目標の順位を走る選手と4秒差でゴールできたことは単純に嬉しい。ついにきた、と。
でも、そこからなぜ、その4秒が埋めれなかったのか。なぜ、3位のThijis選手に2秒及ばなかったのか。次のステップへ行くために、今回のレースならばトップ3に入るためには何が足りなかったのか。バイクのセッティングを見直すと、基本的に彼らのペースでレースをするならば、タイヤの空気圧を0.1気圧はあげるべきだった。タイヤの空気圧が低すぎてスピードに対応できず、スリップアウトを何度もした。僕の今までの考えるスピード域のレースより遥かに速いレースだったので、そこは新たな発見だった。そこはすぐにでも修正できる。ゴール前のラストコーナーでタイヤがよれて遅れたけど、それが正しい空気圧ならばタイヤがよれず、3位と1秒差、もしくは3位だったかもしれない。そういうことの積み重ね。あとは、レース展開を作り、予測し、対応していくこと。今回のレースではついていくだけのレースをしていたのでトップ3と比べればレースをしていたのはトップ3人であって、4位以下の選手はレースを作ることに参加できていなかった。なので、レースが動く場面でそれに見合った動きができてなかった。頭でレースがどのように動くかなんて勝負に絡んでいないので予測すらできていなかった。
要はそのレベルのレースに慣れていないということ。このレースを繰り返せば、よりもっと頭を使い、考えれるようになる。もっとこのレベルのレース経験を積み重ねないといけない。優勝したベルギー人がアタックしたときに反応していれば、もしかしたら、僕が勝ったかもしれない。何があるかわからない、可能性は決してゼロではない。そういうことの繰り返し。レースは挑み続けないといけない、改めて今回は強くそう思った。
このレースで新たなステップに立てたと思う。トップ3の彼らのような有名な選手に割って入るために、どうすればいいかなんて今までの僕には現実的に考えれなかった世界。けど、今は具体的にどうなればそのトップ3になれるのか、と考えるようになった。今回のレース結果を勘違いはしてはいけない、けど、心の中で大きな自信になったのは間違いない。今度はやってやる、それもヨーロッパで。そんな気持ちが胸を熱くさせる。
彼らの主戦場であるヨーロッパで果たして今回のレースと同じことができるのか。彼らのホームでアウェイの日本人がどこまでいけるのか。竹之内悠として、アウェイを人のつながりレベルからホームに変える努力は常にしている。文化や食事の違い、もちろんアジア人というだけで嫌がらせなんていつもある、わざと落車させられたり、嘲笑われるなんてしょっちゅう。けど、目指すところはいつも一つ。レースを続ける中で以前より日本人が認知され、今やベルギーに竹之内悠ファンクラブまで出来てしまった。そんな優しい現地の人たちの力にも背中を押して頂き、今年もシクロクロスの本場、ベルギーで走る。今年の10月からのヨーロッパシーズン開幕がとても楽しみだ。
最後にチーム東洋フレームのみんなで。初の中国シクロクロス遠征を大きなトラブルなく終えることができた。これからも毎戦ごとにしっかりとレースを戦えるようにしていきたい。
2017/10/01(日) 01:34:59 |
Race
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