シクロクロス東京は今まで何度も外人相手に挑んできたレース。
世界選手権後の疲れうんぬんはあったとしても、
普段海外でやっているからこそ、外人を日本で迎え撃つならそれ相応のレースを自分に課してきた。
けれど、今年は日本人だけでするシクロクロス東京。
レース名はシクロクロス東京だったとしても、僕の中では今までとは別のレース。
実際、このレースで今年は優勝させていただき、とても嬉しかった。
砂の速さが別次元だと皆さんに声をかけて頂いて、その言葉自体は素直に嬉しいし、有り難い。
けど、もし、海外のトップ選手がまたこのレースに来ていたら僕のスピードなんて遅いと思う。
海外でも幾度も嫌というほど力の差を見せつけられてきている。
ま、でも、今回はただ、レースとして勝つことができ、良かった。
脚の具合もしっくりこなくて、砂は対応できても急な登り返しや加速などでは脚が負荷に負けてうまくこぐことができてなかった。
それでも、世界選手権の時よりかはかなり回復することができ、上手にまとめられたと思う。
では、ブログ本文です。
世界選手権を終え、翌日に帰路へ。現地スタッフともお互いに慣れたように別れを告げた。ホテルから空港までのトラックの中で来シーズンの話をしてくれるランジット。来シーズンのことまでまだ自分の思いがついていってなかったけれど、心が救われる気持ちになった。
日本には火曜日に帰国し、急ピッチで日曜日に開催されるシクロクロス東京に向けた準備を進め、金曜日から現地入り。時差をあまり感じる余裕もなく、時差への耐性ができたというよりかは身体がバカになっているという表現の方が正しく思えた。
レース前日の土曜日は会場内メインステージにてトークショーをやらせていただいた。日本のレースとヨーロッパのレースの違いについて、という話を振って頂いた時に答えることができなかった。違いではない、それは別物。自然と僕の中でそう捉えているから質問に答えることができなかったのだとトークショー後に気づいた。どっちが良い悪いという話ではない、別のものだから。若い選手二名とMCの方で楽しくトークをさせて頂いた。
トークショー後はペダリングのトレーニングを行い、世界選手権後初めてしっかりと身体を動かせれる余裕と気持ちになった。
日曜日はレース本番。たしか第1回大会から毎年出場させて頂き、そして毎年強豪海外選手を当て馬にされ、僕は毎年彼らに噛みつくので必死だった。日本の大会で華を持っていかれないように、日本開催だからこそ日本人が勝つ、そして彼ら海外招待選手のビックネームに日本人は強かったという思いを刻み込ませたい一心だった。しかし、今年は海外招待選手が不参加で、日本人選手のみでの開催。だから、僕としてはこれは今までのシクロクロス東京とは全く違うレースと捉え、参加した。
シーズン最後の大きな大会ということもあり気合いが入っていたけれど、世界選手権のときからの脹脛の状態が良くなりきらず、レース当日までずっと脹脛の疲れが抜けきらなかった。負荷をかけるとすぐに患部に疲労を感じる状態だった。ペダリングの意識を変えること、もしくは疲労の向こう側にまで追い込みきるしかないと思っていた。どちらにせよ、僕の持っているものを一周目から出し切ろうと思った。
スタートし、1周目のサンドセクションへはトップで入る。そして、ハイペースで1周を終える。この時点で2位の小坂選手と10秒と少ししか開かなかったのでこのレースは厳しいと思った。2周目に入ると左足の患部の疲労がひどく、大きく失速。砂の轍をトレースするためにバイクの上でバランスをとることすらできず、2周目後半には小坂選手にパスされる。耐えればまだどうにかなるかと思い、小坂選手の後ろで休ませてもらう。彼と差が広がっても砂セクションで差を詰めることは容易だったのでマイペースで身体を気遣い走り続けた。
途中、潮の加減を見て、ピットスタッフからラインどり変更の指示が入ったのでラインどりを変更した。その際に小坂選手に追いつき、とりあえず再びトップに躍り出た。そこからは身体に鞭を打ち、砂区間でペースを一気に上げた。空気圧を1.1Barにまで下げていたために森林区間ではタイヤがよれてペースが上げれない分、当初のイメージ通り砂区間で勝負に出た。その後、小坂選手との差が30秒前後まで開き、その差で均衡したが、ラスト20分で更に大きく差を開くことができた。僕もラスト2周は右足ハムストリングが痙攣し始めたのでペースを少し落とさざるを得なかったが、最後までうまくまとめたレースができた。
レース前は心の中で2位と3分差開けて勝ちたいと思っていたけど実際は1分40秒差。1周目のペースで毎周回平均して回れたらそれも叶ったかなと思うけれど、今の身体ではそれが出来なかった。2周目に失速したときはクタクタでどうしようもなかったけど、レース中にまた身体が動き出してくれて良かった。
東京オリンピックの関係で今年が一旦最後となるシクロクロス東京。毎年、海外選手とレースをさせてもらってきた中で今年は日本人だけというレースの構図になっても尚、沢山の方にレースを観に来て頂き、その中で走らせてもらい、優勝させてもらった。更に2位の小坂選手とも世界選手権を一緒に走り、お互いに切磋琢磨し、ハードスケジュールの中で迎えたこの大会で上位2位を獲得できたことは嬉しかった。
大会中、多くの方に声をかけていただき、たくさんお話させてもらいました。どうもありがとうございました。皆さんとの時間を糧にまた頑張ります。今後とも宜しくお願いします。
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2018/02/20(火) 18:25:14 |
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世界選手権はマイナス4周、40分でレースを下ろされた。
順位はべべ3の54位。
下記ブログ内に不調の原因を書いたが、そもそも選手権など一番を決める大会はなにがあっても最後まで全力で走らないといけないし、今回の世界選手権もあきらめずに最後まで走り通したのは間違いない。攻めて攻めて、一つでも前で。
自分の弱いところが今回も出た。
ヨーロッパで一人で生活し、レースを続けるときに休むという行為は本当につらいし、どうしたらいいのかわからない。
ただただぼーっとしても、どこかに出かけても、何をしても休んだ気がしないし、気が付くと前回のレースの悪かった点や、トッププロの走りを思い出したり、何かさらにできることはないかと常に考えてしまう。
もっと我慢しないといけない、我慢が足らなかった。
世界選手権前のレースの自分をもっと褒めてあげ、世界選手権までは堂々としておくべきだった。
トレーニングを減らすことがマイナスと捉え、そのマイナスを最小限に抑えたいという考え自体も少し変えないといけないのかなと思った。今回は本当にいい勉強になったし、反省です。
あと、日本ナショナルチームとしてメカのたくちゃんが来てくれた。
彼なりに今回の仕事は良かったのか、、、彼なりに失敗した点もあったと思うし、そのあたりは彼にしかわからないけれど、彼の経験値が更に高まったことはとても良かったと思う。毎日忙しそうだったけれど、そんなことも世界の場でないと得れない時間だったし。また一緒に世界で戦っていきたい。
そして、他の日本選手もそれぞれのトライがよかった。どうしてもヨーロッパに突然来て結果を残すというのはとても厳しいと僕自身痛いほどわかっているし、やはりヨーロッパで世界との違いを正しく捉え、何かを変えていくしかない。
ジュニアのコータローは12月末の遠征が活きた世界選手権だったと思うし、レンは初めてばかりの中でも必死にやっていたしこの経験は消えないと思う。
女子の与那嶺選手は暖かいところでロードシーズンを開幕させその後のこの世界選手権でも体調を崩さずレースを走っていたし、今井選手は世界選手権にかける気持ちが走りに出ていてテレビ越しに見ていてとてもカッコよかったし、トラブルが起きた時はホテルから急いでコースに行って自分のバイクを貸してあげたくなった。
U23の聖は相変わらずだけど、彼の中でなにか見えたものはあったのかなと思った。
僕とヒカルはとにかくコテンパだったなーと思う。
僕は少し特異な形でナショナルチームと接せさせてもらうので、もっとチームや選手に対して出来ることがあったのか、準備できることはなかったと思う。来年もまたこの場に立てるように、そしてさらに上を目指し頑張りたい。
日本から、そして、現地で応援していただいた皆様、どうもありがとうございました。
下記よりブログ本文です。
最下部にレース映像も添付します。
優勝したWoutはランナーと言われるだけあってランがめっちゃ速いですね。。
今年も世界選手権が終わった。
好調が故に身体へのダメージの大きさを読み違え、レース当日は走ることで精いっぱいだった。ただただどうすることもなく、淡々と走り、80%ルールで足切りを待っているような走りだった。
世界選手権一週間前にようやく身体が好調になり、不安要素がなくなった。しかし、ルクフェンとホーガヘイデの2連戦後の身体のダメージは自身の想像を超えていた。連戦後の月曜日は自分でも疲労を感じ、世界選手権一週間前までにいかに疲労を抜くべきかと考えた。風邪もひきそうなくらい免疫も落ちていた。世界選手権前1週間は予定では、火曜日、水曜日といつものトレーニングルーティンをこなし、木曜日、金曜日とリカバリーに当て、土曜日で刺激を入れ、日曜日にレース。それがベストに思えた。火曜日は予定通りにトレーニングをこなすことができたが、水曜日は起床後からとても身体が重く、天候も悪かったため、トレーニング予定を縮小し、ランのみのトレーニングを行うことにした。トレーニング中に脹脛に疲労と痛みを感じていたが疲労からくるものだと思い、あまり気にしなかったし、ランのペースも好調だった。ランのトレーニングを終え、帰宅。いつものごとくクタクタだったが、脹脛だけが妙に痛かった。しかし、いつものラン後の疲労だろうと大して気にしなかった。
@nobuhikotanabe
この水曜日のトレーニングを読み違えた。朝に疲労を感じたならおとなしくリカバリーに充てるべきだった。世界選手権のコースは例年ワールドカップで走り、知っていた。ランが厳しいコースなので、せめてランをして体に刺激を入れておきたかったと思ったが、身体が耐えれなかった。このトレーニングで脹脛が極度に疲労してしまい、歩くときにつま先で蹴ることができなくなった。木曜日、金曜日、土曜日、とリカバリーに充てたがレース当日まで脹脛の疲労からくる痛みが残り続け、上手に歩けず、レース当日も脹脛の痛みがとれなかった。レース前日の朝になっても痛みが抜けなかったので自分の身体が異常な状態だと理解した。もう騒いでも仕方ないのでリカバリー中は普通に振る舞い、そのかわりマッサージやストレッチの量は二倍に増やしていた。それでもどうにもならなかった。
コースも悪天候のために泥が深くなり、ランせざるを得ない区間が多くなり、脹脛にかかる負担が多く、レースは本当にどうしようもなかった。
@nobuhikotanabe
レースはスタートし、始めの半周は乗車区間が多くて良かったが、ラン区間が始まるとつま先でうまく蹴れないため、途端に失速し、後方に後退。そのあとはただ痛い両足を引きずるように走り続けた。
レース時間40分、マイナス4周の54位でレースを終えた。
@nobuhikotanabe
悔しい。
どうも噛み合えない。好調なときにいつも何かが起きる。毎回失敗を勉強し、修正している。例年の僕なら水曜日のトレーニングを縮小させず、疲労してても雨でもトレーニングはルーティンでこなしていたと思う。しかし、それをすると身体がおかしくなると勉強したし、だからこそ世界選手権前なので、大事をとってトレーニングを縮小した。でも、それでも足らなかった。身体の疲労に対する脳の捉え方の基準がおかしくなってしまっているのかなと思えてくる。こんな楽なトレーニングでいいはずがない、それが常にあるため、どうもオーバーワーク気味になる。正直、休むほうが辛い。
@nobuhikotanabe
この日、一緒に走った小坂光選手は僕の一つ前のマイナス4周、53位でレースを終えている。
日本ナショナルチームとして今回は参加し、同様に東洋フレームの鬼頭メカニックも参加していた。今年の世界選手権が彼の目にはどのように映ったのか。今年も日本ナショナルチームに関わった東洋フレームとしても竹之内悠個人としても、これからをまた考えていきたい。
レース映像です。
序盤にすら映ってませんが、コースやレース会場の雰囲気をどうぞ。
ランジットはピット内でチラチラと映ってます。笑)
あと、僕のサポータークラブのみんなが日本国旗をキャンバー付近でぶん回し続けてくれてますね。
期待に応えたい。
VIDEO
2018/02/09(金) 07:45:37 |
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結果的に土日の2連戦というトライは成功だったのか。
今は世界選手権が2日前になり、まだ疲労が抜けきらない。
ここまできたら走るしかないのだけど、少し不安要素。
調子がいいとその負荷が身体に跳ね返ってくるのでそのあたりの
コントロールを慎重にしたけれど、少しこの2連戦後にも過度なトレーニングをしてしまったように思う。
とりあえず、今はしっかり休んで世界選手権に備えます。悪くないはずだし。
昨日から世界選手権の行われるオランダValkenburgに入ってます。
今日は初の公式トレーニング。
泥が重く、轍をとにかくトレースしていくしかない。
天気も変わりやすく、まだレース当日の天気が定かではないし、
コースに対する先入観を持ち過ぎない程度に今日はコースのレイアウトを覚えることに意識した。
ま、そんなこんなで先週末のワールドカップのブログは下からどうぞ。
走りは悪くない。
あとは勢い。そんな感じです。
Photos by @nobuhikotanabe
連戦。
前日のレース、ルクフェンで自身の調子の良さを確認できたので気持ちに余裕を持ってレースに挑めた。前日のようなパフォーマンスがまた出せたら最高だけど、それは高望みであるのは自分でよくわかっていた。しかし、だからこそポジティブな意味で割り切って走ろうと決めていた。
試走の段階で泥用タイヤが良かったけれど、あえてドライタイヤを選択。そして、リムハイトも高いF4Dのホイールを選択。試走をした限り、トップ選手との技術と脚力による僕らと彼らのスピード差が顕著に現れるコースに思えた。では、そことの差を埋める、彼らのスピード域ならどの選択をするかと考えたらドライタイヤとF4Dの選択だった。
Photos by @nobuhikotanabe
今日の出走人数は73人。そのほぼ最後尾スタート。
スタート後の混乱は必至だった。
Photos by @nobuhikotanabe
スタート後の舗装路はいい形で問題なく進めたが、ダートに入る手前の立体交差で予定通りに落車が起きて、落車の回避待ち。そのあとも混乱はあったが、とりあえず1周回目を終える。身体がつらく、やはり前日の時のようにパワフルな走りが出来ていなかった。左脚が耐えれないながらも頑張ってくれと願い、必死に走った。
Photos by @nobuhikotanabe
周回を重ねるごとにコースのリズムを捉え、ペースを上げれた。10秒差ないほどで前に大きな集団があったけれど、そこに追いつきそうで追いつけず。一人で前を追っていた。だけど、僕自身のペースが落ちることはなく、逆にペースが上がってきたのでその集団に追いついた。しかし、その集団に追いついた周回で集団内で落車が起き、またも少し離された。おそらくそろそろUCI80%ルールで足切りにされる気がしていたので一つでも順位を上げるべく、必死にペースをまた上げ直した。
やはりその周に足切り、55位。マイナス5周。一緒に出走した小坂光選手は59位で同じくマイナス5周。
もう少し序盤でペースをつかめたら、50位以内も可能だったなと思う。F4Dの選択も僕にはオーバースペックとなった走りだった、でも結果として良いトライをしたと思う。そして、レース連戦なのにしっかりと身体が動いてくれてまずは喜ばないといけないと思った。10月はひどいものだった。けれど、徐々に身体が回復してきて、今となっては連戦でも自分で納得のいく範囲で動いてくれた。
Photos by @nobuhikotanabe
良い週末だった。耐えたからこそ、良い週末がある。
世界選手権は今週末日曜日、2月4日。いい形でシーズンを終えたい。
2018/02/03(土) 02:01:45 |
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Otegem、そして Zonnebeke と走れてないなり走れてきて、
このRucphen。
今回のレースからは僕とランジットのチーム体制をナショナルチームとドッキングさせる。
日本代表選手団として動くことになるのでいつもと勝手が変わってくるので
僕としては色々とコーディネートしたけれど、
そこらへんはランジットも理解して上手に動いてくれていた。
このレースは日本代表選手団はヨーロッパ入りして中2日でレースなので時差など
慣れてない中で大変だったと思うけれど、
一つでも多くのレースに参加するという流れはジュニアやアンダー23の選手にとっては貴重な時間になったと思う。
そのためにランジットとも連絡を何度も取り、選手団皆が無事にレースを走れてホッとした。
そして、僕自身もこのレースは忘れられないレースとなった。
過去の成績からすれば驚くことではないけれど、ここ最近のもやもやしたレースを払拭する走りが出来た。
レース後、ランジットやマーク、リック、リエーベ、みんなと喜んだ。
10月の怪我からからどうにもならない身体を押して走り続け、厳しい時間を過ごしていたし、
そのせいでベルギー人スタッフと僕の間でもわだかまりが生まれていたところもあった。
それも皆必死でしてくれているから。
どうにもならなくていつも申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、今日はその皆にレースを楽しんでもらえたと思う。
これがレース。そう思えた。
最後にレース映像を貼り付けてます。
Deel 1 とDeel 2 があり、Deel1の5時間8分辺りから男子エリートとU23混走が始まります。
Deel 2 の33分辺りにブログ内に書いてある最後の僕のスプリント映像があります。ヘロヘロです。
では、ブログ本文をどうぞ。
Photo by @nobuhikotanabe
2018年シクロクロス世界選手権日本代表選手に選出され、2月4日に開催されるシクロクロス世界選手権に参加することになった。それに伴い、東洋フレームの鬼頭メカニックも日本代表チームのメカニックとして1月24日からヨーロッパ入りし、このルクフェンの前日から鬼頭メカニックのいる日本代表チームに合流した。
本来は1月28日のワールドカップのみ参戦する予定だったが、予定変更し、1月27日ルクフェン、1月28日ワールドカップと2連戦を組んだ。世界選手権前に調子を上げるために2連戦を走りたかった。
1月24日にヨーロッパ入りした日本代表選手団の選手全員、僕と同じくこのレースに参加した。
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ルクフェンのレース前日は鬼頭メカニックにマイアミ浜でデビューさせたバイクの各部消耗品をチェック、交換してもらった。デビューして一か月もしてないが、泥のコンディションのレースが続いたので各消耗品は既に痛んでいた。
このルクフェンに参加するのは3度目。過去のレースでは泥でランばかりした覚えがあるが、今年はドライで2018年最初の泥ではないレースとなった。
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試走を行い、コースをチェック。所々の泥パートでのラインどりを確認。あとの細かいところは言うほど難しくなく、とりあえず踏んでいく必要があると感じた。
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アップもそこそこにスタート。細かなセクションでぐちゃぐちゃになりつつも綺麗にスタートできた。良いスタートとは言えず、少し出遅れ気味だった。
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2周目はペースが落ちたがそれからは徐々にペースを取り戻した。パトリックというオランダ人の選手を目安にペース配分していった。彼は今シーズンの自身の開幕戦であったGietenでパックになって走ってくれた選手。彼のレース結果は僕よりいつも少し上なのでいいペースメーカーになる。しかし、レース中盤で彼は失速したのでそこからは一人で前を追う展開に。
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苦しいながらも必死に走り続けると前のパックと近づいてくる。嬉しくなってどんどん踏み続けた。合計で5人ほどに追いつき、すぐに引き離して前へ前へのレースを繰り返した。今年一番良い走りができた記憶があるArdooieで同じパックになったロブペーター選手にも追いついた時は嬉しかったが、彼としばらく走るも彼はすぐにやる気ないモードになってしまった。僕が抜く選手みんなやる気をなくすような気がする。日本人に抜かれるのは悔しい、恥ずかしいのかなと思う。
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とにかく、前へ前へ。ラスト1周で20歳のU23の選手を3秒差ほどで追い続けていた。彼も僕の追い上げに気づいてペースを上げていた。僕もかなり踏み込んでいった。ここまでレースをしたなら一つでも前でゴールしたい。ゴール前200mほどで1秒差ほど、ほぼ真後ろまで詰めたが、彼のスプリントの勢いに負け、僕自身は既にスプリントする脚は残っていなくて、その差に詰め切るので精いっぱいだった。
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結果は38人出走の18位、トップのデイビットバンデンポール選手から3分50秒遅れ。
同じレースを走った小坂光選手は-2Lapsの25位、U23の織田聖選手はDNF。
自身の結果に素直に嬉しかった。レース内容が良くてレース中も自分に自信を持って走り続けれた。今年一番走れたレースだったと思う。僕の走れない期間をずっとベルギーで支えてくれていた現地スタッフとも今日の走りを喜んだ。
世界選手権になんとか間に合うようにトレーニングと休養を繰り返してきたが、それが一つの形になって表れたので、この調子で2月4日の世界選手権に合わせていきたい。そのためにもこのレースの翌日のワールドカップは身体の調子がいいので結果に関係なく最後まで攻めようと思っていた。
では、レース中継映像をどうぞ。
冒頭にもご紹介したように、
Deel 1 とDeel 2 のレース映像が2つに分かれており、Deel1の5時間8分辺りから男子エリートとU23混走のレースが始まります。
Deel 2 の33分辺りにブログ内に書いてある最後の僕のヘロヘロなスプリント映像があります。
VIDEO VIDEO
2018/02/01(木) 06:17:38 |
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